みやぴら

みやぴら

大学院で同期現象の研究してる人。

東北大学大学院を中退する話

 

 

 

 

ぼくは東北大学大学院を中退して、2021年度から京都大学大学院に進学することになりました。

 

専門も、理学研究科(生物物理学)から情報学研究科(非線形物理学)へ変更になります。

M1の段階で再度大学院を受験し、専門を変更しようと考えたのはM1の4月に「生命とは何か」と言う本に出会い、複雑系として生命を理解するという主張に興奮したと共に可能性を感じたからです。

 

 

生命とは何か―複雑系生命科学へ

生命とは何か―複雑系生命科学へ

  • 作者:金子 邦彦
  • 発売日: 2009/02/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

  

これはぼくも薄々感じていたことですが、昨今の分子生物学は「生体内の代謝回路を全てリストアップしよう」、「細胞内で働いているタンパク質の構造と働きを全て把握しよう」等といった枚挙主義に走っています。勿論、そのようなリストアップは生命への理解を進めましたし、医療分野への貢献も計り知れません。

 

 

しかし、ぼくの興味そして上記の本の著者である金子邦彦氏の興味は「生命とは何か」と言うことです。もし現在の分子生物学が極まり、現在の生命を構成するあらゆる物質とその機能が理解できたとして、果たしてそれは「生命」を理解したと言えるのでしょうか。

分子生物学の行き着く先は、「地球上の生命の仕組みの理解」であり、それは「生命という"システム"の理解」には辿り着かないだろうと思います。

(地球という環境下(気温が-100℃~100℃くらいで豊富なH2Oが存在し、大気の組成はほとんどN2,O2)における生命と、他の星(もしかしたら星である必要もないかもしれないが)における生命の物質的構成は同じだろうか?同じタンパク質が働いているのだろうか?遺伝情報は地球上の生命と同様にDNAが担っているのだろうか? そのように考えてみると、同じである保証はどこにもなく従って生命という"システム"の理解には、分子生物学とは異なる別のアプローチが必要になります)

 

 

そこで生物を系として考える「システム生物学」という学問が登場しました。

しかし今やこの学問も、生体内の化学反応の過程を列挙するリストアップに走っています。

(先程も言いましたがこのような研究が創薬などに応用されているのは事実であり、無駄だといっているわけではないです) 

 

 

 

このような状況の中、生命を複雑系として捉えて理解する動きが出てきました。

 

(Wikipediaより引用)

複雑系(ふくざつけい、: complex system)とは、相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう

これらは狭い範囲かつ短期の予測は経験的要素から不可能ではないが、その予測の裏付けをより基本的な法則に還元して理解する(還元主義)のは困難である。系の持つ複雑性には非組織的複雑性と組織的複雑性の二つの種類がある。これらの区別は本質的に、要因の多さに起因するものを「組織化されていない」(disorganized) といい、対象とする系が(場合によってはきわめて限定的な要因しか持たないかもしれないが)創発性を示すことを「組織化された」(organized) と言っているものである。

 

複雑系として生命を捉えるという考え方は、そこまで突拍子もないものではなく門外漢の人も割とすんなりと受け入れられるものだと思うのですが、このような「複雑系生命科学」が発展してこなかったのには訳があります。 

 

 

それは、コンピュータの登場です。

 

複雑系は、いわゆる非線形系であり、方程式を解析的に解くことは困難(というか不可能)であることがほとんどです。そのため数値計算でゴリ押せるコンピュータが登場する以前は、技術的に複雑系を科学することは困難だったのです。

 

安価にパーソナルコンピュータが手に入る時代になった今、複雑系科学は研究テーマとしての立場を手に入れました。

(ちなみに...複雑系科学は内容としては非線形物理であることが多いのですが、研究にコンピュータを使うためか情報学研究科に配置されていることが多々あります。ぼくがお世話になる研究室も情報学研究科に所属していますが、教授陣はほとんど物理学科出身です)

 

 

 

そんなこんなでぼくは複雑系生命科学を研究したいと思い、大学院の変更を決意しました。 とはいっても、研究テーマが決まるのはまだまだ先ですし、ぼくも複雑系そのものに興味が出てきているので、複雑系生命科学を研究するかはわかりません。まぁそこらへんは風の吹くままに。