みやぴら

みやぴら

大学院で同期現象の研究してる人。

「学習する」= 行動の変容

 

 

僕は現在大学院修士課程1年なので、小学校1年から数えて約15年ほど勉強してきたことになる。最近、随分長いこと勉強しているなぁと感じてきた(周囲からの就職圧も感じてきた笑)。

長いこと勉強する状況は僕だけに限らず、日本人の多くに当てはまる。大学進学率は約55%、短大や専門学校も合わせれば約80%にもなる。(https://www.mext.go.jp/content/20200825-mxt_chousa01-1419591_8.pdf)

 

  

 

そんな折、ふと「人間が勉強する」ってどういうことだろうと思った。人間は高度な思考が可能な複雑生命なのでよく分からない。ここは物理学の基本方針を取り入れて、もっと単純化してそこらへんの動物について考えてみた。

 

 

 

 

例えばカモ。僕の地元、埼玉県朝霞市には黒目川という川が流れていて、子供の頃はよく河原でカモにパン切れをあげていた。それを続けていると、カモはパンを持った人を見かけるだけで押し寄せてくるようになった。これを見て「カモは賢いんだなぁ(学習できるんだなぁ)」と思ったことがある。

 

なんで僕が「カモが学習した」と感じたかを考えると、つまるところ「カモの行動が変化した」からだと思う。今まではパンを持った人を見ても気にも留めなかったが、"学習後"は群がってくるのである(余談だが、鴨川にはアオサギに餌やりしている人もいた)。

 

 

僕はヒトの学習もこれと同じだと思った。つまり「学習とは行動の変容」であるということ。逆にいえば、本人は学習した気になっていてもその後の行動が変化しなければ、外部からは「学習した」とは判断されない(自己啓発本の一部とか)。 

この解釈は、人間社会はその人の内部状態を観測することが困難なことにも影響されているのかなぁと思ったり思わなかったり。

 

 

 

 

 

もちろんこれはカモの結果を人間に拡大解釈したものだから、少し違和感もある。例えば、カモには心はないが人間には心がある(と思われている)ので、たとえ行動が変わらなかったとしても心(内部状態)が変化しているという場合も考えられる。この場合、この人間は学習したというのかどうかは難しい問題だと思うが、少なくとも個人性を無視して社会的に考えれば、これは学習のうちには入らないと思う。

 

 

 

 

 

 

(2022/8/24 追記)

僕の学習に対するこの解釈は"Behaviorim(行動主義)"と呼ばれ、20世紀前半に心理学界隈で提唱されたものに近いらしい。

 

Behaviorism emerged in the early 1900s as a reaction to depth psychology and other traditional forms of psychology, which often had difficulty making predictions that could be tested experimentally, but derived from earlier research in the late nineteenth century, such as when Edward Thorndike pioneered the law of effect, a procedure that involved the use of consequences to strengthen or weaken behavior.

WikipediaBehaviorism - Wikipedia

 

要するに、「心とか感情って計測できないじゃん。そんなの科学になるの? ちゃんと研究するんだったら、客観的に観測できる"行動"に重きを置いた方がいいんじゃね?」という流れで行動主義が生まれた。(当方素人です。間違ってたらすみません)

 

僕は記事内で、

「学習とは行動の変容」であるということ。

---(省略)---

この解釈は、人間社会はその人の内部状態を観測することが困難なことにも影響されているのかなぁと思ったり思わなかったり。

と書いていたが、当時の人々の感覚とある程度一致していたっぽい?

 

 

ちなみにその後、計測技術の発達によって脳内センシングが可能になったことから、行動主義は以前ほどの支持を得られなくなったみたいです。